『プリンセス・プリンシパル』のごく個人的な感想について

8年近く放置してたブログだけど、当時のメインだったエロゲ/ギャルゲ感想と同じ熱量で語りたい作品にまた巡り会えたという事で、
ツイッターじゃしづらい自己満足の長文自分語りの感想を投下するために久しぶりに更新。


その作品が何だったのかと言うと、(自分のツイッター見てる人には)言うまでもなく『プリンセス・プリンシパル』と言う
2017夏期のオリジナル1クールアニメだった訳で。


正直放送前は「一応チェックしておくか」くらいの期待値で、1話見た時点でも「雰囲気好みで思ったより面白かった」止まりだったのだけど、
2話ラストのひっくり返しの上手さと明かされた2人の関係性にグッと評価と期待が高まっていった流れ。
3話以降も順当にその期待に応えつつ、5話の想像以上のアクション・殺陣の凄さや6話のビター結末に被せる演出の巧さ等々に惹き付けられて行き、
満を持して8話で放たれた、"物語"の始まりを明かす過去エピソードの、明かされる事実は概ね事前の予想通りの内容なのに、
そこに乗せられる、余りに重く、そして深い心情描写の圧倒的破壊力の前に、あの2人の関係について「最高」としか言えなくなり、
完全にこの「アンジェとプリンセスの物語」と言うものに心を囚われていた。
色々と評価の別れるラスト2話については、自分も初見時は急展開&描写不足に感じる部分もあったのだけれど、
改めて「壁」に挑む「2人の物語」と言う原点に戻って捉え直すと、掲げたテーマからぶれることなく、作品として描くべきことを
きっちり描いて終わらせたラストだったと納得でき、結果的に今では胸を張って「一番好きなアニメ」と言えるくらいにまで上り詰めた。


ここまではある程度ツイッターでも書いた話なのだけど、その先の"どうしてこんなにも自分がこの作品を好きになったのか"って部分を
改めて自分内で再確認するためにこうしてちょっと整理してみようってのが、この記事の趣旨。


で、その"理由"を考えると、結局のところ公式も認めるこの作品の中核――アンジェとプリンセスの二人の関係性――
その描かれ方が何よりも自分の心に刺さったからに他ならない。


元々「過去の経験から特定の相手に過度の想いを抱いて守ろうとする」関係性が、主にTRPG関連で何度もモチーフにし続けてた程
自分が好む関係性であるのに加えて「同じ罪(ないしは傷)を抱える共犯者/戦友」ってのが恋愛モノで一番刺さる間柄*1だっただけに、
両者のハイブリッドとも言えるこのアンジェとプリンセスの関係性を気に入らないわけが無かった。


その上で、この二人の関係性はそれに留まるものでも無く、10年振りの再会にも関わらず、即座に阿吽の呼吸で動け、かつての"始まり"の時に交わした言葉を
当然の様に互いに諳んじ、二人きりの時には他の誰にも見せない表情で、間に誰も入れないような空気感を作り出す程度には互いを分かり合い、
8話で明かされた様に、お互いがお互いを自分の生きる理由/指針にする程に想いあっている間柄に他ならない。


そして、そうであるにも関わらず、11話で決定的な形で表出するに至る、その二人のすれ違いの原因と言うのが、
お互いに相手が自分にとって目も眩むほどの眩しい存在であった*2故と言うのがこの関係性の核心となっている。
相手と比べて自身を卑下してしまうが故に、アンジェはプリンセスの抱く「壁を無くす」と言う夢がどうしてそこまで大切なモノなのか気づかず、
プリンセスもまた、アンジェ(シャーロット)が自分と出会って居なければ、あの日枯れ井戸の中に消えてしまっていた存在であり、
その救われた命をもって、ただ自分と再会し、謝る為だけにこの10年の間(嘘で塗り固めた壁を作りながら)生きて来たと言うことに気づかない。


プリンセスにとってその「夢」は、空っぽの自分に、その大切な人ならこうあれただろうという理想を体現する為に、
死と隣り合わせの日常を必死の努力で生き抜いて来る中で自分にとっての"本当の夢"として血肉にして来たもので、
大切な人から自分が奪ってしまったからこそ、代わりに叶えねばならぬと誓い、
8話でその最も大切な人から、改めて"本物"として認めて貰えたモノに他ならない。
だけど、アンジェから見れば「つまらない自分」がかつて抱いた、幼く甘い夢にそこまでの価値があるなんて思えないから、
たとえプリンセスがその約束を大切にしていようと、状況が変わって命の危険が迫ったならば、捨て去っても構わないモノとして扱えてしまう。


一方で、プリンセスからすれば、自分と一緒に過ごす時は常にとても楽しそうにしていたが為に、アンジェ(シャーロット)が、
あの日、あの偶然の――それこそ奇跡とでも言うべき――出会いが無ければ、自ら消えて居なくなることを考える程の虚無感を抱えており、
自分との出会いと言うその"小さな奇跡"が、アンジェ(シャーロット)の命を救い、心の闇を打ち払っていたという事に気づかず、だからこそ、
「プリンセスのことなど忘れて、アンジェとして生きろ」などと言う、アンジェ(シャーロット)が選べる筈もない選択肢を押し付けてしまう。


革命により引き裂かれて過ごしたこの10年の間、プリンセスはアンジェの生存を知らず、逆にアンジェ側はプリンセスの生存を知っていた
と言うこの違いもまた、上記のそれぞれの相手への想いを強めたであろうことも想像に難くなく。
お互いに鏡合わせの様に想い合い、眩し過ぎる相手だったからこそ生じるこのすれ違い、余りに儚くも美し過ぎて、
単純に百合なんて言葉に押し込むのも憚られ、ただただ「尊い」としかもう言い様がない。


この美し過ぎるすれ違いを埋めるべく、最終話で描かれたのは、自らを「つまらない」と評し、嘘で塗り固めた壁を作り歩んできたアンジェに対して、
ポーチの中に残された思い出の帽子と、思い出したいつかの会話、そしてパラシュートに記されたメッセージが伝えてくれた、
プリンセスにとってもまた自分が掛け替えのない存在であるという事実。
そして、嘘で隠してきた本当の自分を「壁」の向こうから見つけだし、一度は拒絶されながらも諦めずに
"スパイではなく友達として"手を差し伸べてくれる、誰よりも長い付き合いの、スパイをやるには純情すぎる程お人好しの少女に、
どれだけ事態が変化していても、いつも通り、当たり前の様に、同じ女性(ヒト)を大切に思う者同士、
手を取り合えると信じて疑わない、かしましく愛くるしい少女に、
背中を預けて戦い、大切な人の隣を任せる程にその実力を誰よりも信頼でき、共に手をとって戦おうとしてくれる異国の少女の存在。
それらが示すのは、この嘘つきの少女が、自身が称するような「つまらない」人間などではなく、
ここまでの物語の中で「チーム白鳩」が育み築いてきた絆が、その日常の輝きは間違いなく「ホンモノ」だったという事。


その「ホンモノ」の翼の力でアンジェはプリンセスの元に辿り着き、プリンセスを、その「夢」を守る為に、二人手を取り合い新たなる一歩を踏み出す――
「壁」を越えて二人の少女が出会った一つの"奇跡"から始まって、お互いの間に刻まれてしまった一つの「壁」を越えるまでのその"軌跡"。


これが『プリンセス・プリンシパル』という作品が12話掛けて描いてきた"物語"の本質であり、
決して投げっぱなしなどではなく、その本筋を描き切って魅力あるエンディングに辿り着いたんだと思えたからこそ、
プリンセス・プリンシパル』は自分にとって本当にかけがえの無い大好きな作品になった。


もっとも、この最終回で描かれたのは、上述のすれ違いの内、アンジェ側の問題のみの解決であり、
プリンセス側には"断頭台の覚悟"発言が端的に示すような、"壁"が残っていることも事実なわけで、
もし何らかの続編が作られるようなら、この部分はそこで解決されねばならない問題ではあるのだろう。
それでも、このエンディングを経た先であるならば、アンジェ達ならそのプリンセスの"壁"も壊せ、
更にはその先の、プリンセスの挑み続けた人々を隔てるその「壁」にもいつの日か手が届くだろうと
想いを馳せられるエンディングだったので、例え続編がなくここで完結しても、満足と言えるのもまた事実。


改めて、この素晴らしい作品に出会えて、ここまで楽しめたことに、関わった全てのスタッフに感謝と"敬意"を表したい。

*1:エロゲ/ギャルゲの私的ベストカップルの最上位(『鎖』『ひまわり』『シンフォニック=レイン』他)が全部これ

*2:キャラソンの歌詞に端的にあるように